「空気を読むから日本人はモテない」とフランス人の友人が言った

「空気を読むから日本人はモテない」とフランス人の友人が言った

どうすれば相手に気持ちよいコミュニケーションを取ってもらえるのかを判断基準にする。

空気を読むかどうかはあくまで手段。

だから場合によっては空気を壊す必要もある。

最近外国人の友人達と日本人について話す機会があった。

ここで話題となったのは、「相手に空気を読むことを要求しているから、日本人は恋愛がヘタなんだ」ということだった。

以下に、俺の友人達の発言を幾つか書いてみよう。

ロペス(チリ)

日本人ってすごい相手のこと気にしている。そのくせ、あんまりしゃべってくれないよね。

 

マルティナ(ドイツ)

そうそう。だから何考えてるのか分かんなくなって、どうすればいいか分かんなくなっちゃう。ちゃんと言って欲しいじゃん。でも、そう伝えると、『お前、空気読めよ!』って(笑)

 

アレクシス(フランス)

別に空気読むのが悪いなんて俺たちは思ってないんだけどな。度合いの問題だろ。日本人はしっかりコミュニケーションを取るべき細かいところまで空気を読むことを強要するから、面倒くさい。だから日本人はモテないんだよ。やるにはいいけど彼女には無理。あっ、でも下の毛処理していない女多すぎてそもそもやること自体が無理(笑)

※アレクシスは、この後「日本人の女はなんで肌だのメイクだの気を使うくせに下の毛は処理しないんだよ?本当不潔。」「茶髪の日本人は理解出来ない。似合ってないから。オシャレだと思い込んでるのが笑える。アジア人特有の綺麗な黒髪を持っているのに、なんでわざわざう○こみたいな髪色にするかな。残念すぎる。」ということを延々としゃべり続けていました。。

 

完全に同質な背景を持った人間だけで生活しているならまだしも、外国人には「空気を読む」なんてコミュニケーションの本質を否定しているようなものです。

なぜ皆お互いに空気を読むことを求めるのか。

一見空気を読むことがコミュニケーションを円滑化しているように見えていても、「空気を読む」ことが全てを台無しにしていることも多々あります。

しかもこれ、外国人だけの問題ではありません。

例えば恋愛。

日本人は空気を読むことへの要求が強すぎる

男は相手の出方がきちんと見れなきゃダメ。

駆け引きもしっかりして欲しい。

慎重で控えめでいて欲しいけど、時々大胆に振る舞え、そこのさじ加減が分からない男はダメ!

こんな日本人女性、良くいますね。

男性ならきっと共感してくれると思います(同様に日本人男性にもこういうヤツはいると思いますが、俺は男性と恋愛をしたことがないので日本人男性については一旦ここではスルーします笑。)

もし貴方がこういう考え方の女性なら、相手に一方的にその空気を読む作業を押し付けるのをやめるように勧めたいです。

コミュニケーションは共同作業です。

一緒により良いコミュニケーションが成り立つように頑張っていけばいいと思います。

黙って後で陰口いう女の子とかもってのほか。

何の生産性もポジティブさもありません。

相手を気分悪くさせることが目的なのですか?

そもそも「空気を読む」ことで上手くコミュニケーションが取れるなら「今まで付き合ったのは少ないよ?8人だけ」といった発言など一切生まれないはずです。

1人目と上手く空気を読み合って、ずっと上手く続いているはずですから。

※余談ですが、ヨーロピアンの人は「8人も付き合いました」なんて人は相対的に少ないです。結婚までに2〜3人が多いと思う。

空気を読む&空気を壊すの使い分けについて

コミュニケーションの目的は、相手と気持ちよく場を過ごすこと。

空気を読むことはあくまで手段であって目的ではない。

だから相手と気持ちよく場を過ごすために必要であれば空気を壊して新たな空気を作る作業をすべきだし、不要であれば空気を読んでしまえばいい。

一概にどっちがいいという訳ではなく、程度の問題。

ステファニー(スロベニア)

特にさ、恋愛とか感情が絡んでくる問題は尚更複雑だから、細かいところではむしろ言うべきなのに、日本人は『そこはわかってくれよ』というのがあるから。逆に日本人に聞きたいけど、その1を言ったら10わかるみたいなところは本当に正しいの?逆に間違っていて、コミニュケーションの妨げになっている方が多いと思うよ。

その通りです。

過度に空気を読むことを相手に要求し、噛み合なければ相手の悪口を言ったり、陰口を叩く人が、多い。

何度もいうけど不満にも悪口にも何の生産性もありません。

相手と噛み合なければ噛み合う空気を作ろうと相互努力すればいいし、そもそもその努力をするに値しない相手だと思えば黙ってその場を去ればいい。

空気を読むことを要求したり、他人の悪口を言う必要がどこにあるだろう?

陰口を叩く必要がどこにあるだろう。

こういうネガティブな行為は、貴方の頭の中にイメージとして残り、自分の精神を害する。

そういうものばかり目につくようになる。

楽しいことを考えて過ごしている方がよほど幸せなはずだ。

言われた相手だって嫌な気分にさせられ、憎しみの螺旋に嵌っていくだけだ。

何の生産性もない。

コミュニケーションの基本はポジティブな発言の循環を作ること。

相手が気持ちよく過ごせるようにすれば、相手も心地よくなり、貴方に対するコミュニケーションも気持ちのよいものになる。

螺旋階段を上がっていくようなイメージ。

一緒にいることがどんどん楽しいものになっていくのが理想だ。

空気は一概に読まなければいけないものではない。

その場に応じて「空気を読む」「空気を壊す」を使い分けるべきだと思う。

思考停止して「空気を読め!」が正しいと思い込んでいるのはなんか違うよ。

お互いが気持ちよく過ごす上で必要であれば空気は読む。

お互いが気持ちよく過ごす上で言わなければならないことがあれば、空気を壊してでも言う。

一緒に過ごしたくなければ黙って去る。

こういう判断基準を持てるといいんじゃないかなと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

このブログでは世界各地にいる友人からの情報も含め、旅・旅行のテーマを中心に記事にしていきます。自己啓発系の旅サイトとして、『旅をクリエイトする、旅からクリエイトする』をテーマに記事をアップします。 日々働きながら人生を楽しみ、感じたことを綴っていきます。 ・サラリーマン7年目アラサー人間 ・バックパッカー経験者 ・営業職経験4年 ・企画職経験3年